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新しい朝が来た

その日暮らしなワタクシのこと
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100年計画

仇となった“無邪気な世界観”


標題に関してJFAを検索してみたが、もう「百年計画」って、謳ってないのだろうか?2005年宣言を出したからもう良いのかな?

4年かけてジーコがやろうとしたことがどんなことだったのか、結局よく分からないままに終わってしまったような気がする。
或いは、ジーコのビジョンははっきりしていたのだが、それに応えうる選手の育成に失敗した、とか、または、ジーコに託すべき日本代表というチームの有り様を、JFAが彼にしっかりと提示することができなかったと言うべきか。
未熟なチームであることは百も承知であろう。一年や二年、と言った短い期間の指導を任されたわけでもなかろう。もしそうであれば、手持ちのカードの中から使えるものを選んで使う、と言うことしかできないであろうから。
4年あったのだ。彼の就任当初から、いや、そのもっと前から日本代表に対して指摘されていた事のどれだけを改善することができただろうか。
「守備力不足」「決定力不足」「体格差」この中には人種的な特性も含まれている。いきなり2メートルクラスの選手を揃えろ、と言っても無理な話だ。

そしてマネジメント側の問題として決定的に欠けているものがある。
次期監督候補として最有力のオシム氏(←すでに確定?)が、フジテレビのインタビューに答えていた言葉に大いに頷いた。
「日本は外国サッカーのまねをしてきたが、そうではなく、日本は日本独自のサッカースタイルを確立するべきではないか」
百年計画、2005年宣言。そのような長期計画に必要なのははっきりしたグランドデザインである。いくら登録選手やチームの数を増やしても、素質のある選手達が進む方向を示すことができなければそれはただ単に数を増やしただけに過ぎなくなる。芝生グランドを増やしても、それを適切に利用する方向性が示されなければただの雑草地になってしまう。(実際に我が町に唯一の芝コートの状況はひどいものである。ただ芝を敷けばいいというものではないのだ)

98年仏W杯の加茂更迭から岡ちゃん急遽起用への流れは、日本が選手強化へのビジョンをしっかりと提示し切れていない状況で起きたことであるように思える。
その反省をふまえて、と言うこともあろうが、U-23〜フル代表監督をトルシエに任せた流れは理解できる。彼のサッカーは(彼的に)完全な理論に基づく管理サッカーであった。同じ理論に基づく強化を下の世代と上の世代を連携させることによって、同じ理論を共有する選手層の厚みを増すことができる。これはトルシエが日本の技術委員を信頼していなかったからだ、と言うことも言えるかもしれない。「任せておけない。私が全部やる」というわけだ。
日韓大会が終わった後も当然のようにこの流れが続いていくものだと考えていたところへ、いきなりのジーコ起用を疑問視する声が当時たくさん上がっていたのを覚えている。
私は単純に「わ、ジーコだって、すげー」と喜んでいたけれど(^_^;
選手強化に関する下の世代との連携不足があった。「アテネ経由ドイツ行き」と謳われていたはずなのに、実際にアテネ組がフル代表に入ったのは茂庭と駒野しかいない。
闘梨王や、カレンロバート、平山、と言った選手達がフル代表で試合をすることがほとんどなく、次回のW杯はどうなるんだ、と言う心配も残ってしまっている。

その背景にあるものは、上記リンク先(本当に私は宇都宮さんって良いこといっぱい書いてるって思う)にも書かれている
 この4年間、私たちはあまりにも世界というものを、あまりにも甘く、無邪気にとらえていた。そのツケを一気に支払うことになったのが、このブラジル戦だったのである。
……(中略)……
 ジーコ・ジャパンの一番の失敗――それは、世界との距離感や、パースペクティブ(見通し)が誤って認識されていたことにあったのではないか。思えば、コンフェデレーションズカップでのブラジル戦でのドロー、あるいはアウエーでチェコやイングランドに善戦したことによって、それまでのアジアでの苦戦や失態がすっかり覆い隠されてしまった。と同時に、世界との差を見誤ってしまった日本は、そこからほとんど検証も軌道修正もしないまま、ドイツに赴くことになってしまったのである。


サポーターが水色のゴミ袋を振り回して声を嗄らして応援していたのはまだほんの10年足らず前のことだ。「応援団のことを『サポーター』っていうんだって」などと呑気なことを言っていたのはJリーグが誕生した頃であったか。それだってたかだか15年ばかりも前のことであるに過ぎない。
日本はようやく世界へ漕ぎ出したばかりである。必要なのは冷静な情勢判断と分析、そしてしっかりとしたグランドデザインであろう。
JFAがすべきなのは「日本らしいサッカー」を模索し、目指すことである。
今更子供達に、裸足で手作りボールを蹴ってストリートサッカーをしろ、と言っても無理な話である。日本には日本のやり方があるのだとしたら、その「やり方」というものをしっかりと示すことができなければ、何十年経っても日本は相変わらず「決定力不足」だと揶揄され続けなければならないだろう。
2006FIFAワールドカップ(TM) | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

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