QLOOKアクセス解析

新しい朝が来た

その日暮らしなワタクシのこと
<< August 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< や・な・ぎ・さ・わ〜〜〜!!(日本vsクロアチア) | main | トム少佐の憂鬱 >>

疲れきった妻

81歳夫を殺害した73歳妻を逮捕


夫を介護する妻が夫を殺したというニュースは余り聞かないが、妻を介護する夫が妻を殺したというニュースはよく耳にする。
私の勝手な憶測なのだが、夫は今まで頼りにしてきた妻が痴呆や身体障害などで生活に支障を来すようになると、これからの自分自身の行く末に絶望してしまうのではないかと考えている。
特に寝たきりになってしまったような場合、食事の世話、排泄の世話、自分自身の世話などが続き、疲れ切ってしまうのだろう。特に今老人と言われる世代の人達は、男子厨房に入らず、沈黙は金、夫唱婦随、亭主関白、等と言うことが当たり前の世代で、これがもう一つ前の世代であったならば、介護は嫁の仕事となっていたところなのだろうが、核家族世代の子供達は同居を拒み、妻の世話を自分でしなければならなくなってしまったという、ある意味不幸な世代であると思う。妻に聞かなければ何処に何があるのかも分からないのに、その妻が要介護状態となってしまうのである。
そして行政の援助は期待できず、そもそも子供夫婦や行政に「助けてくれ」と声を上げることもできず、かといって何をしたらいいかも分からず、途方に暮れてしまうのだろうと思う。

「何をしたらいいかも分からず」という状態がないだけ、妻の方が介護にはストレスがかかりにくいのではないかと思う。介護が大変なのは妻も同じだろうが、「これから私は一体どうしたら」という絶望が、妻の方はより少ないのではないかと思うのだ。


さて、上記リンクの件は妻が夫を殺している。
標題だけでは分からないが、記事を読むとそこに「アルコール依存症」という病が絡んでいることが分かる。
「アルコール依存症で暴言を受けた」
と言うことである。
アルコール依存症者の暴言は人格そのものへの攻撃になる場合が多いので、言われる方の絶望は深い。身体的な暴力がなくても、これは立派なDVである。
要は、何を言っても、何をしても、それが攻撃の的となってしまうのである。責められれば、もっと頑張らなければ、と思い、頑張る。しかしそのことさえも攻撃の対象となってしまいもっと責められてしまう。がんばりが足りないのは自分のせいだと思い、もっと頑張ってしまう。更に責められる、と言う悪循環に陥ってしまう。
そして、「これ以上私に何ができる」「私は一体どうしたらいい」という絶望と、こんなに頑張っているのに全く報われないことに対する恨みが募り、いつ終わるともしれない依存症者との生活に疲れ切ってしまうのだ。

私の場合は、他殺ではなくて、自殺の方向へ心が動いた。
夫に全く認められないと感じ(何を言ってもしても責められるから)、自分は誰にも受け入れられていないと絶望し、私なぞ別にいなくなっても、どうせ誰も悲しみはしないだろうと思ったのだ。
しかし私を自殺から思いとどまらせたのは、今まで私自身、自分はもう死んでも良い、と一度も思ったことがなかったことにある。
生きていることに絶望していることを自覚したとき、私は自分が疲れきっている、と言うことをはっきりと悟ることができたのだ。
そして、こんな状況になるまで、私は自分が疲れきっているとは全く分かっていなかった。

上記記事の妻も、恐らくそうだったのではないだろうか。
そして、自分が疲れてしまって、誰かの助けが必要な状態にあることを最後まで悟ることができなかったのではないかと思うのだ。
妻もまた、「助けてくれ」と誰にも言えなかったのではないだろうか、と考えるのだ。

医者に言われたのは、「孤独にならない」と言うことである。
自分が誰かに受け入れられている心地よさを感じることができると、もっと自分を大切にしようと思うことができ、早めに助けの手を求めることができる。
長い間ストレスにさらされ続けている人は、そのような状態に慣れてしまい、自分が極限状態にあることに気付きにくいのだ。そしてある日突然、大爆発してしまう。
それが痛ましい事件に直結する事態を引き起こしかねないのである。
アルコール依存症 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

この記事に対するコメント

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://1ststep.silver.egoism.jp/trackback/86501
この記事に対するトラックバック
QLOOKアクセス解析