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新しい朝が来た

その日暮らしなワタクシのこと
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アラノンについて

某掲示板に投稿したものの再掲です。
アラノンについては左カラムのリンクを参照して下さい。

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かれこれ一年半アラノンに通ってる。
実際のところ、アル症者の家族のための会ってアラノンと断酒会、それからアル専病院の家族会ぐらいしかないのではないだろうか?

「絶対許せない」「殺してやりたい」「死ねばいい」
どんどんそう言う会に行って発言しても良いと思うけどな。
何も遠慮することはない。それがその人の真実の心の叫びだと思うから。

アル症者の圧倒的な社会的、精神的な破壊力に痛めつけられた心を癒すのが家族会なんだと私は解釈しています。
アル症者に対して家族ができることは全くないと言っても良いと思います。
殺されるかもしれないという恐怖や、暴力に支配され続けている家族にできることはただ、その状況から離れて誰にも振り回されることのない自分のためだけの人生を歩むことしかないです。

回復が見込めないアル症者は、行政だろうが医療だろうが公権力だろうが何でも利用するしかないだろうと思います。
身内だけで対処しようとしてもどうにもならないです。
余計に自分が傷つくだけだし、下手したらこっちの命が危ないです。

私の住んでる地域では、AAや断酒会のような本人のための自助Gに参加するアル症者は多いけど、その何倍もいるはずの家族・関係者の家族会の参加者は
非常に少ない。
もっと声を上げて行動した方が良いんじゃないかと切実に思ってます。


家族がアラノンに行ったからってアル症が治る訳じゃないよ。

アラノンが取り組むのはアル症に痛めつけられた家族の心を癒すこと。
アル症者に巻き込まれないように自分を大切にするようになること。
結果的にアル症が酒をやめた、と言うことはあるかもしれないけど、実はそれは自助Gの効用としては全く関係がない。
アラノンで言われているのは以下のようなことだよ
「『依存症者が飲んでいようがいまいが』全くの絶望と言うことはなくこのような状況の中でも、満足、幸福さえも見いだせる」

アラノン、断酒会の家族会、院内家族会、保健所でもそう言うことをやっているところもあるらしいし実際に顔を見合わせて愚痴をこぼし合うというのもすごく安心するし心強い。
どんどん出かけていくと良いと思うよ。
アル症者が暴れる家から抜け出して街に出よう!

アル中と共に暮らす中で失われた自分の尊厳を取り戻すのが自助Gの目的。
ある程度回復してきた人は、自己肯定感が強くなってくる。だから、自慢大会のように感じられてしまうのかもしれない。
でもそんな人達も、嵐のような修羅場をくぐってきた人達ばかりだよ。

とにかく吐き出し続ける、っていうのが大事なんじゃないかな。自分の居心地の良い場所が見つかるまで。
あちこちのミーティング場を訪ねてみてね。
(アラノンが合わなければ断酒会も病院の家族会もあるから)

夫は今は断酒しています。
でも先のことは分かんないです。鬱な暗さを漂わせている夫を見るとイライラする。

私はアルコール依存症が子供に与える影響を知ったときに愕然とした。
そして夫を更正させることは不可能だと言うことも。
それ以来いつ離婚しても良いように準備を開始したのだけれどとにかく、日々、私が子供への接し方を変えること、自分が夫に痛めつけられている事の憂さ晴らしを子供に対してすることをやめるのに必死になったよ。
私は夫に巻き込まれていたけど、私自身が子供を巻き込んでいたんだね。
夫も病気だが、私も病気になってたんだ、と思った。
その為にも私自身が自助Gに通うことは必要なことで、それは今も続いてる。

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文体に統一性がないのは異なるときに投稿したものを全部ひとまとめにしたからであることをお断りしておきます。
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一年

アルコール依存症である夫がお酒を完全に断ってから一年が過ぎた。

断酒を始めたのが去年の4月の半ば頃。その後お盆にスリップし、再断酒してから一年、と言うことになる。
夫が通うAA(アルコホーリクス・アノニマス:左カラムリンク欄参照)では、断酒開始日を「バースデイ」と称している。
お酒無しで生きることを決意し、新しい人生の一歩を踏み出したもう一つの誕生日、と言う意味である。
断酒会にも一年ごとの表彰があると言うことである。
バースデイミーティングというものがあって、その日のミーティングでは彼(彼女)のバースデイをケーキでお祝いする。各地で行われるセミナーなどでももうすぐバースデイの仲間のために色紙がまわり、メンバーは彼(彼女)の為に一言書いたり、プレゼントをしたりもする。

お酒がなければ生きられない、と豪語していたアル症者がお酒を断つと言うことは生半可な決心でできるものではない。
バースデイがころころ変わる人もいる(しょっちゅう再飲酒する)し、バースデイすらないまま(飲み続けで)死んでしまうこともある。
その日は、一日一日お酒のない生活を続けてきた一里塚の日でもあり、ふんどし締め直していかないとまたすぐ逆に戻ってしまうぞ、と言う警告の日でもあるという。

アル症者の家族である私にとっては(少なくとも私にとっては)、アル症者のバースデイというのはそれほど重要な意味を持たない。
むしろ、
「アル症者が自分が『アルコール依存症』であることを自覚した日」
の方が重い意味を持っている。
その日が何月何日だったか、というのは覚えていないが、あの時の
「あぁ、やっと自覚してくれた」
と言う、安堵感とも脱力感ともつかない不思議な感覚ははっきりと覚えている。
嵐のような「飲み続けているアル症者」と暮らす日々をやっとの思いで過ごしてきていた。その日々が終わり、全く新しい日々が始まろうとしている、その事に対する不安と期待が渦巻いた瞬間でもあった。
実際に夫がお酒をやめ始めるには更に二週間ほどかかりはしたのであるが、アル症者の中には自分はアル症であると自覚していても、なおお酒をやめきれずに泥沼の日々が続く人もいると言うから、私のケースなどはごく稀で幸せな過程を歩んでいるのかもしれない。

とは言え、この日々も永遠を保証されているわけではない。
どん底であろうと有頂天であろうと、明日のことは明日になってみなければ分からないのだ。
だからこそ、淡々と日々を積み重ねていくことが大切なのである、と私は思っている。
その結果として、来し方を振り返ったときに「ああ、ここまで来たのだな」としみじみと思い返すことができるのではないかと思う。
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トム少佐の憂鬱

米宇宙飛行士を生涯苦しめる、月面着陸時の神秘的感覚


月に行った宇宙飛行士のクラブがあるそうだ。
皆地上に戻ってきたときに、あまりに有名になりすぎたことや、月での神秘的な体験があまりに強烈であったために、宗教にのめり込んだり、ちっぽけな人間達との生活になじめなくなってアルコール依存症になったり、精神的に崩壊してしまったり、離婚してしまったりしているのだ、と言う記事である。

AA(アルコホーリクス・アノニマス)アラノンなどの12ステップ系の自助Gでは、「霊的目覚め」が回復のためにとても重要だとされている。
自分を超えた偉大な力(ハイヤーパワーと呼ばれている)に自分が生かされている、と言う感覚を大切にし、自分がちっぽけで様々なことに無力であることを認めると、ずっととらわれ続けていたものから解放される。生きづらさから抜け出すことができる、と言うのである。

宇宙飛行士達は、神の視線を体験してしまうことで、現世から生きながらにして漂流し始めてしまうことがある、と言うことなのだろう。強制的に「霊的目覚め」を体験させられてしまった、と言うような感じか。

ユングの夢分析によると、空を飛ぶ夢を見ているときは、自分の生き方が地に足の着いていない状態であることを無意識が警告しているのだそうだ。
特に風船のように自分自身がふくらんで空に浮かぶような夢は大変危険な状態である、と言うことである。
まさに、宇宙飛行士達はこのような状態に陥ってしまったのだろうと思う。しかも強制的にそのようにさせられてしまった、と言うのが、彼らの悲劇である、と言うことであろうか。

デビッド・ボウイのデビューアルバムは、「Space Oddity」という。その一曲目がアルバムタイトルと同名の曲である。
宇宙飛行士であるトム少佐は月への旅(?)の途中でカプセルの回路が故障し、そのまま宇宙の彼方へ行ってしまう。

"Planet Earth is blue, and there's nothing I can do."
という、圧倒的な無力感にさらされて、トム少佐は心を壊してしまうのだ。
この曲がリリースされたのは丁度アポロ時代である。デビッド・ボウイは、宇宙飛行士の憂鬱を的確に表現していたのだと言えるだろう。
世界中がアポロに浮かされていた時代に、何という洞察力であろうか。しかも当時彼は19歳だった。すごいとしか言いようがない。(顔も良いし♪)

日本人で最初に宇宙へ行った秋山豊寛氏は、宇宙から戻ってきた後TBSを退社し、今は無農薬農業に従事しているという。

スペース・オディティ
スペース・オディティ
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疲れきった妻

81歳夫を殺害した73歳妻を逮捕


夫を介護する妻が夫を殺したというニュースは余り聞かないが、妻を介護する夫が妻を殺したというニュースはよく耳にする。
私の勝手な憶測なのだが、夫は今まで頼りにしてきた妻が痴呆や身体障害などで生活に支障を来すようになると、これからの自分自身の行く末に絶望してしまうのではないかと考えている。
特に寝たきりになってしまったような場合、食事の世話、排泄の世話、自分自身の世話などが続き、疲れ切ってしまうのだろう。特に今老人と言われる世代の人達は、男子厨房に入らず、沈黙は金、夫唱婦随、亭主関白、等と言うことが当たり前の世代で、これがもう一つ前の世代であったならば、介護は嫁の仕事となっていたところなのだろうが、核家族世代の子供達は同居を拒み、妻の世話を自分でしなければならなくなってしまったという、ある意味不幸な世代であると思う。妻に聞かなければ何処に何があるのかも分からないのに、その妻が要介護状態となってしまうのである。
そして行政の援助は期待できず、そもそも子供夫婦や行政に「助けてくれ」と声を上げることもできず、かといって何をしたらいいかも分からず、途方に暮れてしまうのだろうと思う。

「何をしたらいいかも分からず」という状態がないだけ、妻の方が介護にはストレスがかかりにくいのではないかと思う。介護が大変なのは妻も同じだろうが、「これから私は一体どうしたら」という絶望が、妻の方はより少ないのではないかと思うのだ。


さて、上記リンクの件は妻が夫を殺している。
標題だけでは分からないが、記事を読むとそこに「アルコール依存症」という病が絡んでいることが分かる。
「アルコール依存症で暴言を受けた」
と言うことである。
アルコール依存症者の暴言は人格そのものへの攻撃になる場合が多いので、言われる方の絶望は深い。身体的な暴力がなくても、これは立派なDVである。
要は、何を言っても、何をしても、それが攻撃の的となってしまうのである。責められれば、もっと頑張らなければ、と思い、頑張る。しかしそのことさえも攻撃の対象となってしまいもっと責められてしまう。がんばりが足りないのは自分のせいだと思い、もっと頑張ってしまう。更に責められる、と言う悪循環に陥ってしまう。
そして、「これ以上私に何ができる」「私は一体どうしたらいい」という絶望と、こんなに頑張っているのに全く報われないことに対する恨みが募り、いつ終わるともしれない依存症者との生活に疲れ切ってしまうのだ。

私の場合は、他殺ではなくて、自殺の方向へ心が動いた。
夫に全く認められないと感じ(何を言ってもしても責められるから)、自分は誰にも受け入れられていないと絶望し、私なぞ別にいなくなっても、どうせ誰も悲しみはしないだろうと思ったのだ。
しかし私を自殺から思いとどまらせたのは、今まで私自身、自分はもう死んでも良い、と一度も思ったことがなかったことにある。
生きていることに絶望していることを自覚したとき、私は自分が疲れきっている、と言うことをはっきりと悟ることができたのだ。
そして、こんな状況になるまで、私は自分が疲れきっているとは全く分かっていなかった。

上記記事の妻も、恐らくそうだったのではないだろうか。
そして、自分が疲れてしまって、誰かの助けが必要な状態にあることを最後まで悟ることができなかったのではないかと思うのだ。
妻もまた、「助けてくれ」と誰にも言えなかったのではないだろうか、と考えるのだ。

医者に言われたのは、「孤独にならない」と言うことである。
自分が誰かに受け入れられている心地よさを感じることができると、もっと自分を大切にしようと思うことができ、早めに助けの手を求めることができる。
長い間ストレスにさらされ続けている人は、そのような状態に慣れてしまい、自分が極限状態にあることに気付きにくいのだ。そしてある日突然、大爆発してしまう。
それが痛ましい事件に直結する事態を引き起こしかねないのである。
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アルコールいぞんしょう(依存症)

お酒を飲むと何故酔うの?


私がいつもお邪魔しているアルコール依存症関連のサイトで、18歳の女性がわずか一月あまりで依存症になってしまった、と言うようなことが書かれていました。
上記の記事にもあるとおり、未成年者(子供)や女性はアルコールの影響を大きく受けてしまいます。
ワイ氏(私の夫のことです)は依存症になるのにお酒を飲み始めてだいたい20年くらいかかりました。それに比べると、女性や子供の飲酒のリスクはとても高いと言うことになります。(依存症になってしまえば、男も女も子供も関係ありません。本人も周りの人間も地獄のような苦しみを味わうことになるでしょう)
アルコールは、たまたま長い歴史を持っていて、文化として成立している嗜好品ではありますけれども、麻薬や覚醒剤と同じように、「薬物である」と言うことを肝に銘じる必要があると思います。
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やりきれない、やりきれない

『娘を追い込んだ』
負傷の母初公判で『責任は主人と私に』


2ちゃんねるのメンヘル板にもアルコール依存【2ch 家族会】と言うスレがある。
ここに綴られているのは家族、あるいは家族につながる人(例えば愛人とか)に苦しめられている人達の魂の叫びだ。
憎悪に満ちあふれたこれらの言葉を読んでいると、本当に切なく、やりきれなくなってくる。

そして上記の事件は、アル症者を家に抱えている人なら誰が起こしても不思議ではない事件なのだ。勿論私も。他所で書いていたblogにも、私はワイ氏に対する憎悪の言葉を書き連ねてきた。
酔って失禁し、私を責めるワイ氏に、台所の影で、トイレの中で、独りで乗る車の運転席で、悪口雑言をぶつぶつと言い連ねては呪いの言葉を吐き出し続けていた。
私自身、いつ包丁を持ち出しても不思議ではない状況だったのではないかと思うのだ。子供がいる。親がいる。友人がいる、そんな中でも、ワイ氏に対する憎しみの感情が限度を超えたら、どうしていただろうかと今でも考える。
ワイ氏は最後は私自身の人格を攻撃し、容姿を攻撃し、徹底的に私を打ちのめした。
私は絶望して自死を考えるに至った。
今まで一度も死にたい、等と考えたことがなかった私はそのことに驚き、ワイ氏だけではなく、私も心が壊れ始めていることを自覚したのだ。

○○精神病院。子供の頃この病院の前を通るとき、目を閉じ、息を止めて走り抜けた。キチ○イが感染るとでも考えたのだろう。
私は人も自分も殺したくないと思ったから、精神科の戸を叩いた。
今思えばそれが私の底つきであったのだろう。
アラノンを勧められ、通い始めて一年以上が過ぎた。
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隠された病

民家に乗用車突入し炎上・長岡市、運転の無職男性死亡

アルコール依存症者が引き起こした(あるいは関係者が巻き込まれた)と見られる事件や事故は本当に後を絶たない。
ワイ氏も昔は平気で酒飲み(酒酔い)運転をしていた。よく人をひき殺すと言うような事件を引き起こさなかったものだ、と今更ながらぞっとする。

そしてそのような事態に対する行政の措置はと言えば、「飲酒運転の罰金をバカ高くする」とか、「危険運転致死罪を導入してより重い量刑を科す」と言ったような、対症療法ばかりである。
「バカ高い罰金を取られるから車で飲みに行くのはやめよう」
「懲役刑が長くなるから酒飲んで車を運転するのはやめよう」
確かにそのように考える人はいるかもしれない。代行を呼び、タクシーで帰り、自転車やバスに乗って飲み会に行く人達が増えることは本当に良いことだ。
しかし、アルコール依存症という病の人が世の中にいる限り、酒酔い運転が引き起こす不幸な事故が減るとは思えないのである。
アルコール依存症者は酒が切れかかると激しい離脱(禁断)症状に見舞われ、酒を体内に入れること以外の事は考えることが出来なくなる。一刻も早く酒を手に入れたくて、酒屋まで車を飛ばし、レジを出たとたんにキャップを開け、ワンカップを何本もぐびぐびと飲み干してしまうというようなことをするのである。そして離脱症状が治まって正気に戻り(と本人は思っている)意気揚々と車を運転して自宅へ戻り、ゆっくりと家で飲み直すのである。
それがアルコール依存症という病気の症状なのだ。

かつてワイ氏の車の中には空になったワンカップ焼酎の瓶がごろごろ転がっていた。私は何度も何度も、「お酒を飲んで運転するのはやめて」と言ったが、聞き入れてもらえたことはほとんどなかった。

私の経験上、飲酒運転の根本的な解決として、遠回りになるだろうし、お金もかかるだろうけれども、アルコール依存症についてもっとみんなに知ってもらうような活動をする、そして、社会全体で依存症者をすくい上げる体制を整える方が良いのではないかと思うのだがどうだろうか。
急がば回れ、と言うではないか。

世間の人達はあまりにもアルコール依存症について知らなさすぎると思うのだ。
何よりもアルコール依存症者本人がそしてその家族当人達が、最も激しくアル中に対して偏見を持っていたりする場合が多いのだから。
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意識と無意識のバランス

最近また夫との距離感を測りかねている。
夫はスキンシップが好きで、よく私を抱きしめてくれるのだが、私の方は警戒してしまう。
「寄りかかりたいだけなんじゃないの?」
「抱きしめられても私にはその気はないよ」
「ほっといて」
腕の中で身体がこわばる。下手に抱き返したりなんかしたら夫に勘違いされないかしらと、緊張する。夫の気を損ねないようにやんわりと拒否するのだが、きっと夫にはバレバレなんだろう。

今朝見た夢は不思議な夢。
ある男性と宿泊する。夫とは正反対の印象の人。なのに、その特徴が夫と同じだった。
夢からのメッセージは、
「あなたの今の夫に対する態度は偏っている。バランスをとりなさい」
と言うことなのだろう。

過剰に反応してしまっている私に対する、無意識からの警告なのだ。
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私にはどうしようもない

アルコール依存症の家族のためのサイトがある。
ここには沢山の、夫の、親の飲酒に悩む人からの書き込みがある。
ほとんどは「どうにかしたいけどどうしようもない」と言った旨の内容だ。

私がこのサイトの存在を知ったのは、自分自身がどうにもならなくなって精神科にかかり、アル症者との関わり方について医師からアドバイスを受けてからだった。
知らないうちにどっさり背負い込んでいた荷物を下ろすことができ、世界が明るくなり、身が軽くなった。
すると今まで見えていなかったものが見えてきた。それがそのサイトだった。
いかに私が自分だけの世界で独りじたばたしていたか、まざまざと思い知らされた。
私が今通う自助Gのポスターは夫がかかっていた病院にも、私がいった病院にも、しっかり掲示されていたのだ。だが私にはそれが全く見えていなかった。

子供を妊娠したから、幼い子供を抱えているから、家が自営業だから、経済的に不安だから、怖いから。皆そう言って行動を起こすこともせず、ただ、愚痴をこぼしに来ているようにしか思えない。
例えば長く依存症者と関わってきた「先行く仲間」からのメッセージも投稿される。
しかし彼ら(彼女ら)は、
「分かっているんですけど、でも」
と堂々巡りの繰り返しだ。

「どうにかしたい」なら、どうにかすればよいのだ。
まず何か行動を起こすことが全ての始まりなのだと私は学んだ。
友人は横暴な夫から逃れるために子供3人を抱えて家を出て、あらゆる手段を使って、自分と子供達を守るために行動した。今は生活保護を受けながら暮らしている。しかしとても明るく、エネルギッシュな人だ。
私の母もDVから逃れるために日本中を転々とし、一生懸命働いて私を育ててくれた。

まず自分が変わらなければならないと言うことを、私は医師や自助Gで学んだ。
依存症者の飲酒をやめさせることは不可能なのだ。暴力を受けているならば警察に被害届を出せばいい。逃げ出せばいい。経済的な不安なら行政に相談すればいい。保健所に相談すれば専門医を紹介してくれる。とにかく自分の心の平安のために、アル症者に振り回されないために適切なカウンセリングを受け、自助Gに通うこともできる。たとえ乳飲み子を抱えていても、いや、だからこそ、まずは動き出さなければ状況は悪くなる一方なのだ。

アルコール依存症は進行性で死に至る病だ。しかも否認の病気だから治療に結びつけるのが非常に難しい。
同様に、アル症者と暮らす人達の暮らしや心を破壊し、世代連鎖を引き起こして不幸は繰り返されていく。
今自分がその鎖を断ち切らなければ何も変わりはしないのだ。
依存症者本人も否認するが、関わる人も否認する。そして、ただ不幸な鎖だけが世代を超えて長くつながっていくのだ。

まず自分が動き出さなければ。

私もやっと動き始めたばかりだ。そして学んだ。
「全ての人の行動はその人の決定によってなされ、その責任は本人が負わなければならない」

私にできることは私自身が変わっていくために行動し続けることだけだ。

今日も苦しむ人たちが掲示板に書き込みをしている。私もさんざん経験してきたことだから読んでいるといたたまれない。もっとひどい状況の人もいる。
私にはどうしようもない。私には何もできない。それがもどかしい。しかし、それが真実だ。
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不思議な感じ

さっきまで、アルコール依存症者の家族のためのサイトでチャットしていました。
いつもは滅多に覗かないチャットルームです。
入室してすぐに、身近な人がアル症で悩んでいる方が入って来ました。

私が得た知識を総動員して、その方にお話しさせて頂きました。

不思議なものです。
今日この時、私がそこに行かなければ会うことのない人でした。
私の話が少しでもその方の中に入っていってくれれば嬉しいです。

私自身も、もう一人の参加者の方と話をすることができました。
何だか、とっても不思議な感じです。
まだ、本当に信じているわけではないけれど、私のすぐ近くにいる(かもしれない)ハイヤーパワー(仮)が、何かを私にしてくれたのかもしれないと思うと嬉しくなってしまいました。
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